畝 家 の 食 卓

目次


「幽霊亭の女」 ―「白萩屋敷の月」収録― より

「早速だが、義父上は相変らず鰻を召し上がっておいでか」
だしぬけに訊かれて、七重は微笑した。
「十日に一度は必ず田川へ使をやります」
・・・・・・
東吾は白焼で酒を飲み、七重は中串で飯が出た。
「こっちは手酌でやるから、かまわず飯にしなさい」

 
「藍染川」 ―「一両二分の女」収録― より

東吾が歩き出すと、新之助は黙ってついてくる。連れて行ったのは、富岡八幡の門前町にある鰻屋で、ここの店は東吾の顔を知っている。
この頃の深川は鰻が名物であった。
小名木川、仙台堀川など、いずれも海水と真水の入り混っている水路は鰻にとって絶好の生息地で、俗に深川鰻は甚だ好味也と評判になっていた。


「野老沢の肝っ玉おっ母あ」 ―「江戸の精霊流し」
収録 より

「そいつは待たせてすまなかった。長助も昼飯はまだだろう、鰻でもつき合ってくれ」
木挽町へ出て、小さな店だが鰻は悪くないと聞いていた一軒へ立ち寄った。
店は満員の盛況だったが、いい具合に東吾達が入って行ったあたりから、飯をすませた客が次々と席を立つ。
片すみに落ちついて鰻を注文し、肝の焼いたので酒を一杯、長助の顔が忽ち真赤になった。

Straight Furrow の掲示板をリニューアルして間もなく、土用には少し早い時期でしたが、蛍さんの次のクイズから、鰻話が盛り上がりました!

私の住まいします県は、あることの東西の境目なのだそうです。そのある事とは何でしょう。食べ物に関係しますし、その食べ物をどうにかするのです。 【蛍】

「うなぎは東西で開き方が違う」では? 武士の多い関東では、ハラ開きを嫌って背開きに、上方ではそんなん気にしないので、ハラ開きだと。あと、関東は開いてすぐに焼くのではなく、一度蒸して身をやらかくしますが、関西はすぐに焼くので、食感がやはり異なるそうです。開き方と焼き方が異なると、味も少し変わってくるようです。
といいつつ、関東うなぎを食べたことがない私。うなぎはいつも実家から直送で〜す!瀬田川岸にそれはとても美味しい川魚料理のお店があるので、そこのを送ってもらってます。
そういや、うなぎを「まむし」言うのは関西だけでしょうか? まむしのぶぶづけ、美味しいですよね〜。あ〜食べたい〜!! ちなみに、うなぎは万葉時代からあったそうです。 【ゆい】

ゆいさ〜ん、その通りです。静岡の開き方は色々のようですが、東と西は「背開き」「腹開き」完全に統一されているそうです。焼き方や汁物の味は現代では西の人も東のひともあちこち住んでいますので、住んでいる人の口に会うように少しは混じっているようですが、開き方は昔のままのようです。
丁度真ん中に当るので東と西の文化が混じってしまうのですね。言葉のニュアンスも県内の西と東では関東風、関西風と微妙に違います。 【蛍】

関東にはウナギを専門に裂く包丁がありますよ。ここのお寺さんの参道はうなぎやさんがいっぱい!!白焼きして蒸してから再び焼くんですよぉ〜じゅる〜〜〜関東のウナギは、裂いてから、身を半分にして串をうち焼く、次にそれを蒸す、さらに焼きながらたれをつける、また焼く、これを数回。皆様、最初から蒸してから焼くのが関東版とおっしゃいますが・・・焼く→蒸す→焼くのが、江戸前だとおもいますが・・・適当な油が落ちて なおいっそう 香ばしく焼き上がるのが・・・とうなぎやさんからも教わりましたが・・・。
ちなみに、ダンナの郷里のお家の隣には瀬戸内海へ注ぐ大きな川があります。そこで、ウナギが捕れるのです。引っかけて釣る、あるいは石を積んで住処をつくってそこを引き潮の時に崩しては捕る。あるいは長い筒で仕掛けを作りそれを仕掛ける。とれたウナギは魚籠に入れて、小さな小川で泥臭さをぬいて、調理します。
これが!裂いたものを甘辛く煮てしまいます。骨は揚げてお煎餅のようにして食べるようです。これは、田舎料理ですが・・・。瀬戸内は干満の差が激しく大きな干潟ができるのです。 【ヒロチャン】

そういえば。長野:松本にうなぎを笹巻きにしたお土産をいただきました。また食べたいなーー。 【E/F】

お能のお稽古日で、なぜか合間の話題がうなぎやったんですよ〜(だめだ、京ことばが伝染ってる〜)蒸したのが好きか、こんがり焼けたのが好きか、で盛り上がりました♪軍配はこんがりの関西風。何せ名古屋は「ひつまぶし」といってこんがり焼けたうなぎを太目の細切りにしてご飯にタレごと混ぜて2杯食べ、最後の3杯目はわけぎ・わさび・白ごまのっけてアツアツのおダシをかけて食するのが名物ですからね〜♪京男のお師匠さんも大ファンで、結構食べ歩いているらしいです。実はうなぎが苦手なはなはなも「ひつまぶし」は大好物で、どうしても食べたくて2時間待ったこともあります〜♪(絶対「蓬莱軒」のが好き!)
さて、うなぎの開き方、関東は武士が腹切りを嫌って「背開き」、では関西の「腹開き」の理由って何故でしょう? 【はなはな】

ああなるほど!関西の理由を書いてなかったんですよね!そりゃ合理的だから、に決まってるじゃないですか〜!ハッハッハ! 【ゆい】

そのとおり!関西の腹開きは、頭をつけて焼くのに便利、下処理でおなかの中身を出すのに便利、肉厚の背から串を打つのに便利…と、腹開きのほうが万事合理的だから、だそうです。武家の町と商人・町人の町、それらしい理由ですよね。 【はなはな】

そうか、関西では、鰻もお頭つきなんですね。背開きでは頭は落とさざるをえないですし・・・それにしても、アジやサバについては腹開きを気にしなかったんでしょうか? 【たまこ】

関東のは頭、ついてないのですか!!知らなかったです!いつも送ってもらうのは、頭付き、肝付きなので・・・。でも頭食べないですけれど・・・山形では主人の実家のワンコにあげてました。今日実家に電話して、早速うなぎ、頼んじゃいました!!わ〜い!これでまむし丼が食える・・・ウヒヒ!! 【ゆい】


この
ゆい様の食卓写真ぜひご覧になってください! パワー全開まちがいなしです!

ひつまぶしって名古屋にいかなくても、食べられるんですよ!もちろん本場のにはかないませんけど。冷凍食品がでてるんです、「全農」から。鰻の分量も多くておいしかったです。うちの叔母は会社に直接電話して20袋位取り寄せたんです。ただ、あんまり置いてるスーパーが多くないんですよね。私は加入してる生協で購入しました。(わっ所帯くさいなあ)  【小式部】

そうそう、「ひつまぶし」は商標登録されてるらしいですよ。名古屋では、店によっては最後のお茶漬けはお番茶で、というところもありますよ。私は昆布とかつおのお出し汁のが良いけど…。自宅でもやってみたのですがなかなか上手くできないですねぇ。こんど松坂屋で「蓬莱軒」のうなぎを買って来ようかな♪
はなはなは「ひつまぶし」のおかげでうなぎを食べられるようになったんですよ。
白焼きをわさびで食べるのもたまんな〜い♪ 浜松が養殖うなぎの本場と言われますが、生産量はたしか愛知県…だったような記憶があります。浜松のうなぎは関東風に焼いてありましたよ。生協でも頼めるんですね…。ぜひ名古屋の味を広めたいですねぇ。 【はなはな】

昨日の夕刊タブロイドに、笹握りの事が書いてあったのですが、そこに「ウナギをタレごとご飯に混ぜて笹の葉に包む。」という笹握り飯が、食中毒に勝つ握り飯として紹介されていました。包んで少し時間を置くと、笹のよき香りがにじむようです。「おひつまぶし」の進歩したもの? 【ふみきり】

ふみきりさんがお書きの「うなぎ飯の笹握り」、これも冷凍でてるんですよ。「うなぎ笹ちまき」という名で「いしの屋」というメーカーです。やはり生協でたまに取り扱ってます。レンジでチンするだけで笹の香がぷうんとして美味ですよ。親戚にも大好評で先週もまとめ買いしました。大きなスーパーや冷凍食品の宅配などで取り扱っているのでは。 【小式部】

今、佐伯泰英さんの「居眠り磐音 江戸双紙」シリーズ(双葉文庫)を読んでおります。主人公の磐音は訳あって脱藩した素浪人なんですが、うなぎを扱うのが得意という、ちょっと変わった所もあります。で、うなぎの背開きをしたり得意の剣の腕を活かしたりしながら、密かに藩のために働く…という展開なのですが、確か最初の話にうなぎの開き方の東西差の話が出ていたような。 【真名】

ウナギも万葉時代から滋養によいものとされていて、大伴家持が詠んでます。
「石麻呂に 吾もの申す 夏やせに 吉といふものそ むなぎ取り召せ」(万葉集巻16ー3853)
石麻呂って人が普段から痩せている人なので、それで戯れ半分で詠んで渡したそうです。 【ゆい】

ところで先日の土用の話題で、「かわせみ」に登場する「鰻」も調べてみました。これまた結構な数登場しています。当時、鰻って高級料理じゃなかったんでしょうか。東吾さんなんてほんとしょっちゅう鰻食べてますよ。麻生の殿様は鰻が好物だし、決め手はやっぱり源さんのこの一言かな。
  大串を注文した東吾へ、源三郎が笑った。
  「土用にもならないのに、鰻というのは、東吾さんも年ですかね」
おっとこれはたまこさんの
「源さん迷セリフ」コーナー行きかな(笑) 【あっちの管理人】

「金波楼の姉妹」で、最後に麻生家の家族の人数分の鰻をおごる羽目になっていました。(あれって、宗太郎さんにカケで負けたことになるのでしょうか?)
最初、鰻はぶつ切りにして串にさして塩焼きしていたそうで、その形がガマの穂に似ているから蒲焼という名になったという説があるそうです。(説の一つで他にも説があるらしいんですが)「利家とまつ」では味噌煮込みだったと思います。
江戸後期には蒲焼にして食べるのが広まっていたようですが、屋台と高級店とあったのではないかと・・・ 【麻生花世】

き び が ら 染 め の お 赤 飯


合格祝い・卒業・入学など、春はお赤飯のシーズン。小豆やササゲを入れて、見た目にもいかにも華やかにお祝いらしく炊き上げるお赤飯、嬉しいものですね。
ところで、「お赤飯にきびがらを使う」という、ゆいさんの投稿から「きびがらって、昔、幼稚園で工作に使ったけど、あれ食べられるの?」「きびは砂糖きびのきび?トウキビ?」などと大騒ぎになりましたが、「きび」は、桃太郎の黍団子の黍でした〜
米・麦・豆・粟(あわ)・黍(一説には黍の代わりに稗(ひえ)を言うことも)を「五穀」と称し、「五穀豊穣」を祈ったりしますよね。あの「黍」の表皮を、お赤飯の赤い色を出すのに使うそうです。

では、ゆい様のレシピから・・・

材料(4人分) 餅米・・・480グラム(約カップ3)
         小豆・・・50グラム
         きびがら・・15グラム
         水・・・・・カップ4
         ごま塩・・・適

@ 小豆にたっぷりの水を加えて火にかける。渋切りとあく取り(沸騰した湯を捨てること)をして、また7倍の水を加えて八分目ほどの固さに(完全に柔らかくしない)ゆでる。ゆであがったらざるに取り、ぬれぶきんを掛けておく。ゆで汁は取っておく。

A きびがらに水を加え、10分くらい煮て漉す(これがきびがら汁)。

B 餅米は洗い、小豆のゆで汁ときびがら汁を合わせた液に一時間以上つける。後、ざるにあげて水気を切る。つけ汁は残しておく。

C 餅米・小豆・塩を合わせ、蒸し器で40分ほど蒸す(強火)。

D 途中2〜3回、3のつけ汁で打ち水をしながら蒸していく。打ち水は合計400mlぐらい。

E 蒸し上がったらすぐにすし桶に移して全体をざっくり混ぜる。

こんな感じです。きびがら汁が違うだけで、あとは普通のお赤飯炊くのとほとんど同じです。
きびがらを
使う地域は、滋賀県では大津市・草津市など湖南と言われる地域です。スーパーでもきびがらは常時売ってます〜!
レシピでわかるとおり、もちろん小豆も使いますヨ!滋賀県民はお赤飯にきびがら食う、と思わないで〜〜(笑)!!
赤い色を鮮やかにするために、きびがらを使うんです。きびがらをつけた汁を足すことで、小豆だけでは今ひとつ鮮やかにならないお赤飯の赤色を足す、という感じでして。きびがらは染めるのに使うだけで、きびがら自体は入らない訳です。
こうお話すると、「どんなに赤い色やねん!」とお思いになるかもしれませんが、そんなにえずくろしいほどの赤色にはならないです〜(笑) 
【ゆい】

京都市西京区の和菓子屋さん中村軒では、お祝い事のためのお赤飯の注文を受け付けて、きびがら染めのお赤飯を作っているそうで、HPにきびがらの写真も載っています。
また群馬県にも
きび赤飯おにぎりなるものを発見。こちらはきびも一緒に炊き込んで食べちゃうみたいですよ。 【ヒロチャン】

「ひゆたらり」 と 「陀羅尼助」


「ひゆたらり」 ―「八丁堀の湯屋」収録― より

「ひゆたらりとは、なにか意味がございますので・・・」
「そいつは、宗太郎に教えてもらったよ」
紙と筆を取ってくれと東吾がいい、るいがそれらを炬燵の上へ並べると、起き上ってすらすらと書いた。
    長生きは粗食、正食ひゆたらり
    勝手次第に御屁めされよ
「こいつは今大路家の先祖で名医の聞え高かった曲直瀬道三正盛という医師が書いたもので、今大路家では毎年、冬至の時、医者の間では神農会というそうだが、その日にこの歌の掛け物を床にかけるんだとさ」
要するに養生訓だが
「そのひゆたらりというのは、今大路家でも長いこと意味がわからなかったらしい。ところが、今の成徳どのの父上の時、信州から来た医者が、ひゆたらりとは、むこうの言葉で湯の熱いものを飲んだり、火の熱いところに寄ったりしないことをいうときかされて、漸く、その意味がわかったということだ」



「長生きは 粗食・正食ひゆたらり 勝手次第に 御屁めされよ」
によく似た言葉で、たしか天海が言ったこととして、こんなのがありました。
「長命は粗食・正食・日湯・陀羅尼 折々御家風あそばされるべし」
「家風」は「下風」かもしれませんが、「放屁」つまり「おならをすること」です。
「ひゆたらり」は「日湯・陀羅尼」、つまり「毎日の入浴と読経」と重なるのでしょうか。
「陀羅尼(だらに)」は梵語の音写。「総持」「能持」と訳す。梵文を翻訳しないままで唱えるも ので、不思議な力をもつものと信じられる比較的長文の呪文です。
この場合は、毎日経を唱えることも長生きの秘訣ということでしょうか。
経文のもつ意味というよし、大きな呼気による呼吸法が関係するかな、と思いました。 【百楽天】

耳嚢に出てくる「ひゆたらり」の部分を抜粋してみました。
「耳嚢 巻之十  今大路家懸物の事 」
官醫今大路家に、曩祖道三教歌墨蹟とて懸物となし、神農會には床に懸候事の由。
右は道三自筆にて歌なり。 
長生は麁食正食ひゆたらり勝手次第に御屁めされよ
當主も門人も、右歌の内、ひゆたらりといへる事、何の事と言をしらず、 相應の説をつけて申傳へけるを、或時信州邊の人來りて、是は如何成事 哉と尋けるに、今大路の門人共も答に當惑し、申傳へのみを何となく 噺しければ、彼信州の翁のいえるは、我等或日山深き片田舎に至りしに、 百歳餘の者有しに、長生の術も有哉と尋しに、物しらぬ田舎人なれば其術 もしらず、かゝる山奥なれば明暮食する所は素食にて、元より何の望みも なければ心に勞する事もなく、かく長壽をなしぬといひしに、しかれども 何ぞ長壽のuも有事もあらんと切に尋ねければ、湯のあつきを不用不呑、 火のあつきによらざるべしといひしが、ひゆたらりと云は此事ならん、 道三先生是をしりて、かく詠み置たまひならんといひしにて、今大路家の者 ども、始て此歌の心を、致知なせしとなり。
信州からきた客は、以前、高齢の人物から聞いた長寿の秘訣から推定を述べた だけなのかもしれません。実際は天海僧正が話したことを、聞き取って道三が 教歌の掛け軸にしただけなのかも・・・結局、信州の人の説が後世に残ってしまった のでは?
道三という人は宗派にとらわれず「よいものを取り入れる」人だったような 気がします。(根拠ないですが) 【麻生花世】

「ひゆたらり」は「日湯・陀羅尼」、なるほど・・・「陀羅尼」といえば、こんなのもありました。

「大川の河童」 ―「鬼の面」収録― より

麻生源右衛門の医者ぎらいは今に始まったことではなかった。東吾が知る限り、筋金入りであった。
風邪をひいて熱が出れば卵酒、腹痛には吉野の陀羅尼助という苦い薬を常備していて用いる。
もともと頑強な体なので、今まではそれでなんとかなった。

なんで「陀羅尼」が薬の名前になっているんだろうと思ったら、薬草を煮詰める時に陀羅尼を唱えて祈りをこめたとか、坊さんたちが修行で「陀羅尼」を唱えているときに、眠気覚ましにこの薬を使ったなどの由来があるそうですね。
万能薬的なものらしいですが、なんと驚いたことに、
当麻寺中之坊を始め大和地方では今でもあちこちで「陀羅尼助」売っているのだそうです! 【たまこ】

ぬあんと! 母親が高野山のお土産で買って参りましたが・・・。
真っ黒い錠剤で、ちょっと黒光りして・・・。
もう賞味期限(薬はこんないいかたはしませんよね・・)は切れているようですが・・袋ごとどこかにあったような気がします。  【ヒロチャン】

「陀羅尼助」はオウバク(黄檗)を主成分とする胃腸薬です。オウバクをドロドロになるまで煮詰め、そのエキスを竹の皮にのばしたもの。もともとは板状の薬で、ちぎるか、はさみで切って一片を服用するという薬でした。
当麻寺中之坊では現在でも「板状」のものを置いていますが、今では丸薬が主流です。こまかいツブツブになっていて1回に30粒服用ということです。 【百楽天】

陀羅尼助、関西ではおなじみのお薬です〜!基本的には胃腸関係だと思うのですが、なんでも「陀羅尼助飲んどき」で済まされることが多かったです〜。
今でも吉野・天川村あたりに行くと、看板に「陀羅尼助」をかかげていはるとこも多く、感動モンです。奈良はクスリの歴史が古いですから。高校時代のクラスメイト(甲賀忍者末裔の薬屋さん)は、いつも所持していて、「腹具合が〜!」という声を聞くとすぐに「これ飲み!」とくれました。
南北朝時代、南朝の人たち(吉野朝)は陀羅尼助を売る薬屋・行者になって全国に支援を求め、または日々の糧にして南朝に仕えたといいます。  【ゆい】


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